◆成功例に学ぶ地域活性化に「星空保護区」をアップしましたが、「本当の夜」について詳しいことを知りたくて、この本を読んでみました。
著者のボール・ボガードが夜について学ぶきっかけとなったボートル・スケールによれば、我が深浦町は現在でも「3田舎の空」以上に相当すると思います。
少し頑張れば我々が幼少の頃の空「2真に空が暗い典型的な土地」になるのではないでしょうか。
この本は私たちが忘れてしまった「自然の夜の価値」を問い直すことが主題となっていますが、我が深浦町では幸いにも「自然の夜の価値」はそんなに失われていないと思います。
子供の頃、夜になるといつも暗闇に怖さを感じていましたが、晴れた夜には星たちの余りの美しさに感動し、宇宙に抱かれているという不思議な居心地さも感じていたように思います。
我が深浦町の「自然の夜の価値」を見直して活性化に繋げてははどうでしょうか。
来月、いよいよ、G7伊勢志摩サミットが開かれます。
その前に高級リゾートホテル「アマン」が伊勢志摩に日本で2軒目の「アマネム」をオープンさせました。
WBSでアマンのCEOのインタビューがあって、すごく印象に残ったのでアップしました。
アマンは世界で最も高級なホテルを経営していることで有名ですが、伊勢志摩の25万㎡の敷地にアマネムを作った理由を次のように述べていました。
「都会の喧噪から逃れてくつろいでほしい」
「伊勢志摩の光景、こちらでの食の体験が素晴らしい」
「真珠の養殖が眼下に見られる」
「28部屋全てに温泉」
部屋作りはさておき、景観、光景、食などは我が深浦町にも伊勢志摩に勝る程の資源があります。
「都会の喧噪から逃れてくつろぐ」をキーワードにして、我が深浦町の観光産業を活性化を考えてみてははどうでしょうか?
先日、岡山県倉敷市の「むかし下津井廻船問屋」を訪ねてみました。
下津井は瀬戸大橋のたもとの街で我が深浦町と同様に北前船で栄えた、西廻航路の港町のひとつです。
後背地の児島では綿花の生産が盛んで、肥料として大量の北海道のニシンが必要でした。
北前船は20~30隻(多い場合は80隻)の船団を組んで、1年に1往復の航海で、今の貨幣価値で1隻当たり約1億円という莫大な利益を上げていました。
「円覚寺の髷額」に象徴されるように、北前船の航海は危険に満ちたものであり、船の難破などのハイリスクを取らなければ成り立ちません。
北前船はいわゆる「買積み廻船」で船主が航海中に寄港地で商品の売買を行う廻船で、近江商人が始めたと言われています。
近江商人達は各地に出店やその枝店をつくり、縁者を派遣したりして、船団の運行をサポートさせていました。
こうした人達の中で深浦に住み付く人々も少なくなかったと思われます。
管理者が小さい頃に祖父から、「親戚の人と滋賀県の縁戚を訪ねて大歓迎を受けた」という話を聞いたことがあります。
我が深浦は「風待ち湊」として上方の文化の影響を受けたばかりでなく、物品の交易や人々の交流が盛んに行われていたと考えることが自然です。
地域活性化が課題の今こそ、ハイリスクを取った北前船のフロンティア・スピリッツに学びたいものです。
小中学校を通じて我が故郷・深浦町の歴史・文化を習った記憶はありません。
左は「深浦の文化財」で平成25年夏に帰省の折に深浦町民俗歴史資料館を訪ねて買い求めたものです。
古代の深浦については伝説は多いものの、史実として語るには文献・資料が不足していて確たる事が言えないようです。
特に縄文時代の遺跡の調査は進んでいない印象を持ちました。
追良瀬小学校の近くの畑から拾った矢じりで遊んでいた記憶からすれば、三内丸山遺跡が注目を浴びている中で、我が町の縄文遺跡の発掘資料がないのが残念と思いつつ資料館を巡りました。
「この時代(古代)は津軽地方は大和朝廷の支配力が具体的におよばない、いわゆる「化外」の地であった。別に言えば、この地方は大和朝廷とはおよそ異なった政治・文化をもった人々の生活圏であったということになる。」と書かれていますが、三内丸山遺跡をみれば日本各地との交流があることから、個人的には「深浦も日本各地と交流をし、文化的には影響を受けながら、しかし、政治的には大和朝廷から独立していたのではないか」と。。。。。。
深浦が具体的な史実として語ることができるのは鎌倉期に入ってからと言われています。
それ以来、深浦は「深浦町文化財案内図」にあるように、日本海交易の重要な港として繁栄して来ました。
人口減少が著しく、「消滅可能性都市」と言われる深浦町ですが、過去の歴史に学び、日本各地・世界との交易を通じて新たな産業を興し、再生を計ることを願うものです。
経済関係の本はグローバル経済に関するものが圧倒的に多いが、この本は安倍政権の「地方再生」の教科書として読まれているように、地方経済を考える良書といえます。
トヨタやアップルやグーグル等のG型(グローバル経済)の話を聞いても、中小企業の経営の参考にはピンと来ませんが、この本はL型(ローカル経済)には大いに参考となろうかと思います。
L型の流通・サービス産業は日本のGDPや雇用の70%、労働人口の80%を占めており、地方経済はこのL型産業が殆どなので、地方経済の活性化の課題はL型産業のイノベーションである。
L型の課題は集約化と労働生産性の向上である。
人口が減少する日本では夕張市が実践しているように、インフラ投資をコンパクトシティに集中し、効率化を図る必要がある。
L型産業の大多数を占める流通・サービス産業は製造業より労働生産性が低くなることは避けられないが、ITの利用で労働生産性を上げるとともに、労働移動を促進する必要がある。
我が深浦町のように、労働人口が急激に減少していく地方にあっては、町役場を含めあらゆる会社・個人事業者が徹底的にITを活用して効率化をはかり、労働生産性を上げて行く必要があるのではないでしょうか。
例えばPOSを使っているコンビニやタッチパネルで注文する回転寿司屋のように。。。。
第二次安倍政権の大きな課題は地方創生です。
「消滅可能性都市」といわれている我が深浦町にとっても、活性化が最大の課題です。
奥州列藩同盟は明治維新の敗者ですが、仙台藩は会津藩と共に維新政府の怨恨の大きな犠牲となりました。
伊達邦成(くにしげ)は仙台藩亘理伊達家当主でしたが、戊辰戦争に敗れ、南部藩の移封にともなって領地を取り上げられ、家臣達を解雇せざるを得なくなりました。
選択肢は南部藩配下の農民となるか北海道移民の二つでしたが、悩んだ末に北海道移民を決意しました。
当然のことながら、当時の技術レベルでは北海道開拓は困難を極め、多くの他藩は退却してしまった中で、有珠郡(現在の伊達市)に移住した亘理伊達家は大きな成功を収めました。
中央集権、富国強兵を目標にした明治維新にあって、亘理伊達家は自力で北海道の原野に挑み、見事に開拓を成し遂げました。
すなわち
1.耕起の作業効率が圧倒的に高いプラウ等の新技術を積極的に導入し、生産性の高い農業を実現した。
2.移住者が主体的に出資した組合組織「永年社」でテンサイ、菜種油、大豆、小豆などの商品作物を生産し東京などで販売したり、硫黄の採掘などの新規事業を興した。
3.初等教育のために紋鼈(もんべつ)学校を開き、知識ばかりでなく、自らの開拓精神を育む教育を行いながら、継続的な発展を図った。
これらが成功の要因といわれています。
石破地方創生担当大臣は「やる気がある地方には、金も人も知恵も出す」と言っていますが、政府に依存した活性化で本当に地方の持続可能な「創生」ができるのでしょうか。
亘理伊達藩のように自立して、「一人の力は一家の力、一家の力は百家の力」になるべく協力し、新しい技術を積極的に導入して生産性を高め、新しい産業を起こし、持続的に発展することを切に願うものです。
そして、発展した我が町の歴史を後世に伝えたいと。。。。
下の画像は平成18年冬に帰省した時の東奥日報新聞の記事です。
中学生の当時は五能線の追良瀬駅から深浦駅までいわゆる「汽車通学」でした。
朝は8時頃に追良瀬駅を出発し、帰りは部活等で遅くなる時は深浦駅を5時半頃の汽車に乗り込んでいました。
現在は大雨や強風の場合は不通になっていることが多いですが、当時は不通になった経験は無かったように記憶しています。
深浦中学を卒業してからは五能線に乗る機会がめっきり減ってしまったのですが、平成23年冬に能代駅から五所川原駅まで乗った時は、乗車指定券がなかなか取れずに家内と離れて乗車しなければならず、その混雑に驚きました。
東北新幹線が青森まで開通してからはTV番組で五能線が時々出てきます。
全国のローカル線の中で五能線は人気NO.1と聞いて、故郷の活性化に希望を持っているところです。
2枚目は「資料館」横に咲くニッコウキスゲ
3、4枚目は行合崎漁港の白いハマナス
5枚目は桜庭利弘作品展
9枚目は夕日の追良瀬鉄橋
「深浦中交流サイト」名のFacebookを立ち上げました。
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